ルーチカのこと



先週の土日に東京の科学技術館で「博物ふぇすてぃばる!」というイベントが開催された。
アマチュアによる博物学の面白さを展示(&販売)するイベントで、デザフェスの小規模博物学バージョンみたいな感じ。ルーチカもきらら舎主体で出展参加した。私は出展のお手伝いをすることができなかったのだけど、日曜日に子供をつれて挨拶に出かけた(実はSAYAさんとはルーチカで一緒に活動しているのに、最近はあまり直接会う機会がない)。

そこで、ちいさなちいさな蛍石と秤量ビンをもらった。
ちんまりかわいらしい。

今回の出展でルーチカの方向性がよりいっそう確かなものになりつつある。ルーチカのブログ等でお知らせするので確認されたし。

さて、SAYAさんとはもう出会ってから10年になろうかというところだ。ルーチカを設立してからは8年。
その間いろいろあった。迷惑かけたしかけらえれたし、傷つけたりもしたし、心も離れたり近づいたり。いいことばかりではなかったことも確かだけど、それでもお互いの活動と並行して一緒に続けてこられた。今までの活動、これからの活動についてずいぶんと話し合った。最近ではそれが実って、知識と技術を総動員してルーチカ図鑑の共著も軌道にのってきているし、ぼんやりとしていたコンセプトやヴィジョンがなんとなくはっきりしてきた。

ルーチカをはじめるまでは、たぶんお互い、たまに他の人とコラボすることはあっても結局はひとりで活動していくんだと考えていたんじゃないかと思う。でも一緒に長く続けて、いいこともあるんだなあ。と、やっと実感できてきている。

そんなこんなで私のほうは、SAYAさんには随分とお世話になって、ルーチカを続けてきてよかったなあ、これからもやりたいなと思ってる。実際、雑貨活動は全面的にルーチカに移行したのでルーチカはすでに私の活動の半身になっている。いまさら「はいやめました」ってことは無理なんである。願わくばSAYAさんもルーチカに価値を見出してもらいたい。そう願っていたところで、7月末発行のきらら舎タブロイド版フリーペーパー「Papier de Kirara」でルーチカ図鑑のことを大きく取り上げてくださってた。

うれしいなあ。

SAYAさんと私、好みの大筋は似通っているのだけど、得意分野とか知識とか、細かいこだわりなんかは結構ちがう。かなりちがう。そんなちぐはぐなふたりが絶妙なコンビネーションで相乗効果を出せるような、そんな活動をしていきたい。

蜥蜴

久々に蜥蜴を見た。四歳の娘が追うが、疲れていたのかあまりすばしこくなかった。二歳の息子は逆に怖がって逃げた。

昨日の日誌の内容は、欲張りすぎてしまったせいで失敗に終わった。
数年ぶりの「日誌」再開なので勘が取り戻せない。初の試みに近い。そもそも数年前の日誌だってたいした内容でも表現力でもなかったから、もしかしたら初心に戻ってやり直したほうがいいのかもしれない。文体もまだ試行錯誤中。
表現やコミュニケーションは場数が必要だから、文章下手でも開き直って、恥を忍んで書くしかない。

今日はきらら舎にルーチカ図鑑を納品したり、納品されてきた夏のイベント用の「図鑑オマケ」の検品をしたり、コミティア109で配布するイベントフライヤーのレイアウトをしはじめたり、と雑用ばかりだった。雑用、というけれど、制作とおなじくらい大事な作業だ。どちらが欠けてもだめなのだ。…とわかっていつつ、雑用・事務処理はなかなか辛い。クリエイターの知り合いも、たいていこの点で悲鳴を上げている。でも悲鳴を上げつつこの点をきちんとこなしているクリエイターが生き残っている。

理系と文系というよりは抽象と具体

普段は製薬会社の研究所で分析をしている、リケジョのTOKOです。こんにちは。

リケジョ。最近残念なことになっている小保方さんで有名になりましたね。このあいだ着物に割烹着を着たら「実験するの?」と同居人に聞かれました(そんなわけあるか)。

個人的には、理系・文系の性格分析みたいなものは、過去に何度か考察して失敗しています。なので上でリケジョと名乗ってみましたが全くしっくりきません。が、最近新たな説が思い浮かんだので考察してみます。(でも最後まで書いてみたら、結局っ結論がでなくて尻切れになりましたすみません)

巷で理系の特徴として挙げられているものは、

・専門分野に没頭してきたため、専門性はもちろんたかい
・しかしそれ以外の興味のないことの知識は貧弱(特に常識、流行)
・コミュニケーションの場数が少なく周囲への心配りが不足気味

こんなことに起因しているものが多く、でも、それって理系に限らないよね。って思うのです。それに、理系分野に身をおいていて思うのですが、理系の中でも生物系や医薬系はものすごく文系っぽい。おそらく文系の中の法律学とか経済学とかよりもよほど文系っぽい。わたしの周りの理系(生化学系)のひとびとは、パソコンの調子がちょっとでも悪くなると「壊れた」というし、そもそも不調になっても不調に気づかない人も多いです。

でもやはり、理系と文系ではなくとも、なにか人間の理解力は大きく二つに分別できそうなきがする…そこで出てきたのが「具体的」と「抽象的」です。


これを実感したのは、先日「ルーチカ図鑑 結晶」のために結晶図の勉強をしていたとき。



これらの立体の展開図を作りたいと考えていました。はじめは「結晶の格子定数から計算して…面や直線の方程式かなんかで定義すればいいのか…三角関数いるのか…おお…むりそう…」となっていたのですが、いろいろと考えていくうちに「これはピタゴラスの定理さえあれば作図できるのではないか」と気づいて道が開け、「定規とコンパスだけでいけるんちゃうか」という考えに至ったところで図鑑に掲載しようと決めたのでした。

そして思い出しました。私は中学のころは大の数学好きだったってことに。あのころの図形の証明問題は、ほんとうに楽しかった。けれども高校に進学し、微分積分まではなんとかなったものの、虚数が出てきたあたりで完全に脳が思考停止しました。なんだろう、多次元化についていけなかったんだろうか。

おなじころ、結晶図の情報収集でウェブをさまよっていて、前川淳さんのブログに「数学らしさの感覚と図形を愛でる感覚は違う」「「個別の図形を愛でる」というのは、「和算」の味わいなのかもしれない。そういう意味でも和算は数学ではないのかもしれない。」というようなことが書かれていて、私の感覚はこの「個別の図形を愛でる」に近いのかもなあ。と合点がいったのでした。同じ記事に「「あなたの話は具体的なのでわかりにくい。もっと抽象的に話してください」(吉田耕作)」という数学者の名言があり、あーこれとは自分は全く逆だな。と。

そこでやっと、「具体的」「抽象的」という概念にたどりついたわけです。長かった。


それで「具体的」「抽象的」という概念を掘り下げていきたいところですが、夜が明けて子供が起きてきたのでタイムアウトです…。それに何しろ私の脳みそが具体的で、「具体的」「抽象的」という単語が抽象語なわけで、これ以上話を進めると私の理解をが追いつかないのは目に見ています。中途半端な終わり方ですみません。
ちょこっと調べてみたところでは、抽象的な考えと具体的な考えは脳の別のところが活動しているらしく、現在でも研究が進められているとのことです。

私の周囲には、理系的なものを文系的・芸術的に愛好する徒が多く居られるので、そのあたりを抽象的・具体的な区分けで説明できるかなあとおもったのですが。あるいは「感覚的」「論理的」という区分けもありそうな気がして。そっちかも。(適当だな)

時間がなくて考えがまとまっていないので、また何かの折に触れたいです。
あと、これについてもっと説得力のある仮説を立てられる人が居たら是非。だれか!

ルーチカブログで宇宙切手のことを

こんにちは、TOKOです。
さきほどルーチカブログを更新してきました。

宇宙切手のこと

かなりがんばりました。ので、こちらではルーチカブログのお知らせで今日はおしまい。
読んでもらえたら嬉しいです!

決意表明みたいなもの

こんにちは、TOKOです。

日誌といいながら週報、月報・・・となっているこのブログ。
あまり間隔が開くと、なにを書いていいやらと悪循環です。
ほんとうは、お伝えしたいことがたくさんあるのに。

書かなくなった原因を挙げ連ねるときりがありませんが、
(そういえば以前、挙げ連ねたような気がしなくもない)
とにかく書こう、よし書こうということで、
短くてもいいので少しずつ、
InstagramにUPした写真を文章と関係なくても適当に添付しながら
また日誌に近づけたいと思います。

 
(早速意味も無くルーチカ図鑑を)


そう決心したきっかけは、山田ズーニーさんの著書
「大人の小論文教室。」を読んだこと。

この本、題名に反して小論文のことは全く書いておらず

考えること、表現すること、理解すること、
自分をみつめること、自分を知ること、他人を知ること…

そんなことの難しさとすばらしさを
自身の経験と仮説・実験を踏まえて教えてくれます。
まんまと触発されまして、まずはブログかなあと手を動かしてみました。

さて、今後どうなりますことやら。
サイトのほうはあまり動きがありませんが、
水面下での活動やルーチカの活動もこちらでご紹介したいと思いますので
またぜひ覗きにきてください。