理系と文系というよりは抽象と具体

普段は製薬会社の研究所で分析をしている、リケジョのTOKOです。こんにちは。

リケジョ。最近残念なことになっている小保方さんで有名になりましたね。このあいだ着物に割烹着を着たら「実験するの?」と同居人に聞かれました(そんなわけあるか)。

個人的には、理系・文系の性格分析みたいなものは、過去に何度か考察して失敗しています。なので上でリケジョと名乗ってみましたが全くしっくりきません。が、最近新たな説が思い浮かんだので考察してみます。(でも最後まで書いてみたら、結局っ結論がでなくて尻切れになりましたすみません)

巷で理系の特徴として挙げられているものは、

・専門分野に没頭してきたため、専門性はもちろんたかい
・しかしそれ以外の興味のないことの知識は貧弱(特に常識、流行)
・コミュニケーションの場数が少なく周囲への心配りが不足気味

こんなことに起因しているものが多く、でも、それって理系に限らないよね。って思うのです。それに、理系分野に身をおいていて思うのですが、理系の中でも生物系や医薬系はものすごく文系っぽい。おそらく文系の中の法律学とか経済学とかよりもよほど文系っぽい。わたしの周りの理系(生化学系)のひとびとは、パソコンの調子がちょっとでも悪くなると「壊れた」というし、そもそも不調になっても不調に気づかない人も多いです。

でもやはり、理系と文系ではなくとも、なにか人間の理解力は大きく二つに分別できそうなきがする…そこで出てきたのが「具体的」と「抽象的」です。


これを実感したのは、先日「ルーチカ図鑑 結晶」のために結晶図の勉強をしていたとき。



これらの立体の展開図を作りたいと考えていました。はじめは「結晶の格子定数から計算して…面や直線の方程式かなんかで定義すればいいのか…三角関数いるのか…おお…むりそう…」となっていたのですが、いろいろと考えていくうちに「これはピタゴラスの定理さえあれば作図できるのではないか」と気づいて道が開け、「定規とコンパスだけでいけるんちゃうか」という考えに至ったところで図鑑に掲載しようと決めたのでした。

そして思い出しました。私は中学のころは大の数学好きだったってことに。あのころの図形の証明問題は、ほんとうに楽しかった。けれども高校に進学し、微分積分まではなんとかなったものの、虚数が出てきたあたりで完全に脳が思考停止しました。なんだろう、多次元化についていけなかったんだろうか。

おなじころ、結晶図の情報収集でウェブをさまよっていて、前川淳さんのブログに「数学らしさの感覚と図形を愛でる感覚は違う」「「個別の図形を愛でる」というのは、「和算」の味わいなのかもしれない。そういう意味でも和算は数学ではないのかもしれない。」というようなことが書かれていて、私の感覚はこの「個別の図形を愛でる」に近いのかもなあ。と合点がいったのでした。同じ記事に「「あなたの話は具体的なのでわかりにくい。もっと抽象的に話してください」(吉田耕作)」という数学者の名言があり、あーこれとは自分は全く逆だな。と。

そこでやっと、「具体的」「抽象的」という概念にたどりついたわけです。長かった。


それで「具体的」「抽象的」という概念を掘り下げていきたいところですが、夜が明けて子供が起きてきたのでタイムアウトです…。それに何しろ私の脳みそが具体的で、「具体的」「抽象的」という単語が抽象語なわけで、これ以上話を進めると私の理解をが追いつかないのは目に見ています。中途半端な終わり方ですみません。
ちょこっと調べてみたところでは、抽象的な考えと具体的な考えは脳の別のところが活動しているらしく、現在でも研究が進められているとのことです。

私の周囲には、理系的なものを文系的・芸術的に愛好する徒が多く居られるので、そのあたりを抽象的・具体的な区分けで説明できるかなあとおもったのですが。あるいは「感覚的」「論理的」という区分けもありそうな気がして。そっちかも。(適当だな)

時間がなくて考えがまとまっていないので、また何かの折に触れたいです。
あと、これについてもっと説得力のある仮説を立てられる人が居たら是非。だれか!
コメント

世の中には「好き嫌い」で判断する人と、「良い悪い」で判断する人がいて、「好き嫌い」だけで判断できる人だけが芸術家になれる、と私の師事した華道の家元が言ってました。
説得力のある仮説どころか、全くもって参考にならないそれこそ、感覚的な話ですみません…ふと思い出したもので。

理系・文系の枠に収まらないのが芸術系かもしれませんね。
個人的な環境からの単なる偏見ですが、医歯薬系の人は特に芸術家基質の人が多い気がします。
アート、という言葉の由来、技芸の意味から考えると当然なのかもしれません。

☆zabienaさま

拙い意見にコメントをありがとうございました!
なんとなく「感覚的」「論理的」というわけ方もあるかなあと思っていて、芸術が「感覚的」な方面なのだとしたら家元の先生のご意見もごもっともな気がします。

でも結局、人間の脳の中は多次元なので、カテゴライズという試みはたいてい失敗するんですよね…なのに度々、どこかに自分をおさめたくなってしまう…なんでだろ…

医学系のひとって、そうですよね。昔から好事家なお医者さんが財力もあるから美術品を保護蒐集してたりとか。たしかお化け屋敷も江戸時代のお医者さんが始めたとか(あんまり関係ない)。
(ちなみに、旦那様もそうでしょうか?)

  • とこ
  • 2014/08/03 17:00