活動の軸足

最近ハンドクラフト系の作家さんと知り合う機会が増えて、以前よりも「オリジナル」「模倣」の話をよく聞くようになりました。発想の起源というのはとても曖昧で、作り手の真の意図を知る由もないのに安易に「パクリ」と騒ぎ立てることには賛同しかねるのだけど、明らかに模倣と呼べる行動の常習犯などもいるらしいです。

他人をどうこう言う前にわが身を鑑みよ。
ということで、私の活動を振り返ってみたいと思います。

まずは漫画から。
当たり前のこととして、何かをトレースするような物語、キャラクターは作りません。でも私の中には、過去に私が見た物語や風景、体験しかありません。なるべく時間をかけて、もとの色や形を消し去り、いい塩梅にいろんなものをまぜこぜしてコネコネ、コネコネして形作ったものが今の作品になります。印象深いものほど影響力も大きい。だからすごく、似ているものがあるかも。どうかな?
また、ファンタジーの絵柄は、細部のリアリティが大切なので、絵をかくときにはそれぞれの細部にあわせた膨大な写真素材を用意しています。自分で撮りためたものがメインだけど、ネットで拾ってきたものももちろんあって。なので、ミニマムなところでは模写に近い表現といえるものもあります。

そしてグッズ。
こちらはルーチカの活動に集約するにあたり、SAYAさんとじっくり話し合いました。そこで出来上がったのがルーチカ図鑑です。
この図鑑は、自分たちの興味あること・調べたことを発信する媒体であると同時にグッズを作るうえでの軸足になるものとなっています。どうしてこのグッズを作るのか、絵柄になったのか。グッズを発表するだけでは伝わりにくい真意が図鑑を読むことによって少しでも伝わったらいいなと思ってます。
自分たちの自信にもつながっています。

私の創作活動は、趣味の範疇ではありますが自らの立地や軸足を固めるために、いろいろと考え、試行錯誤を繰り返し今の活動形態・作品展開になりました。たとえ結果として他者と似たような作品が生まれたとしても、立地や軸足が固まっていて自分の感性や経験に誇りをもって作ればオリジナルと呼べると信じています。

もしこれを読んでいる方がオリジナリティに悩まれているのであれば、一度自分の創作スタンスを整理してみてはいかがでしょうか。

子供のこと

春から小学校に入学する女児と、保育園年中の男児がいます。
上の子が生まてしばらくはあまり子供のことを創作活動の表舞台に出しませんでしたが、
今では割とふつうに、会話の中に盛り込んでいます。
子供のことが負担だけではなく、創作するうえでのプラスの効果が出てきたからだと思います。

ただやっぱり、卒園入学のこの時期はばたばたしますね。
算数セットに延々と名前シールを貼りましたよ。
登校班の付き添いとか交差点の立哨当番もありますよ。

これから、学校から配られるプリントにちゃんと目を通さないといけないんだなあ。
そういえば小学生のころ、机のお道具箱の裏に
くちゃくちゃになったプリントをため込んでいた男子とかいたなあ。給食のパンとか。
そういう世界に親として踏み込むわけですね。

なんかこう。
創作のネタになりそうですよね。

というプラス思考で今年度はお送りしたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。

ご無沙汰しています

かなりさぼっていたのですが、新学期からまた再開しようかな〜と。思います。
いろいろ工夫してみたけど続かないなあ。
昔のようにつれづれなるままに考えてることを書くのがいいのかな。

創作活動は続けているので、近々また新作のアナウンスなどできそうです。

修行してます

気づくと1月も下旬です。
コミティアまでの日数を指折り数える今日このごろですが、みなさんいかがお過ごしですか?

わたくしTOKOは、ロコノのシナリオがやっと終わってさあネーム、というときに、たいそう才能のある若者の絵と出合いまして、自分の絵を鑑みて猛省し基礎練習に明け暮れていました。

いままで「デッサンが狂っている」なんて口で言っていても、実際それをどうすれば改善できるのか、それがどれほど大事で作品に影響しているのか、いかに難しいことなのか、ということを認識していなかったと痛感しています。今だって完全に分かったわけではないけれど、やっと入り口に立てたかな。

下の絵の2枚目にも走り書きしていますが、自分のキャラにいまいち萌えられない。こんなに好みを詰め込んでいるのに!という悩みがありました。自分が生み出したからということもあるでしょうが、でもこれはやはり、なにか萌える要因が欠けているからに違いないとおもいまして。たとえばロコノに出てくる黒猫は黒髪長身で黒い衣装、表情に乏しい、スレンダーながらも強いという好みを詰め込んでいるにもかかわらず、絵で見るといまいち、いまいち。これはあれだ、絵が下手なんだ。でも絵が下手ってどういうことだろう、何が私の絵を下手らしめているのだろう。

…と、ずっと思ってたんですが、先日くだんの若者の絵を目の当たりにして、あーデッサンだ。基本だ。ここにきてデッサンの練習とかをしてなかったのが影響してるんだ。と。やっと気づいたわけです。しかもその若者は10代でした。10代…ほんと若い。その若さでその画力。
若い才能を目の当たりにすると自分の能力の限界に絶望するものかと思っていましたが、全然そうは思わなくてビックリしました。たぶん、デッサンとかの能力は持って生まれた才能よりも、いかに、どれだけ鍛錬するかというほうが大きいことを知っていたからだと思います。単に自分が怠っていたからできていないだけで、やればできると。で、その若者は10代で、おそらく本格的に絵を描き始めてから10年そこらです。10年そこらでどうにかなるかもしれないんです。ならやればいいじゃない、って。思ってしまった。それが今回の修行の始まりでした。

クロッキー帖にはいろいろたくさん描いていますが、ちょっと時間がかかった鉛筆画を貼っておきます。







そのほか、30秒ドローイングとか、万年筆で一発書き練習とか、写真をいかに簡素なラインで表現するかとか、そんなことを試行錯誤した2週間でした。

修行は続けつつ、そろそろネームに戻ろうと思います。
次のロコノでは萌えるキャラが描けるかな?

明治の紙工作

お盆は家族で実家に帰省している。
沖縄にいる妹も帰ってきて、なかなかにぎやかなお盆である。私の兄弟は弟と妹で、彼らは彼らの甥姪たるうちの子供たちの世話をよく焼いてくれる。今回の帰省では、明治のお菓子の空き箱でいろんな工作物をつくってくれた。


きのこロボ、たけのこロボ


アポロうさぎ


たけのこカマキリ

けっこうな時間をかけていた。

よくもまあこんなものを…と感心しながら公式サイトを見てみる。かなり力を入れているらしい。あらゆる紙箱がナニカになるようだ。

子供たちは大喜び。破壊魔の二歳児はさっそくカマキリの胸部と腹部を分離した。
私は自分の作品を作るので精いっぱいでこういうサービスを子供にしてやる気力がない。弟や妹の気遣いはたいへんうれしいのであった。

そんなお盆休みもそろそろ終わりだと思うと、なんだかさみしい。